オーロラまたの名をノーザンライト(北の光)、一度は見たいと思ったことがありませんか。
僕はいつも思っていました。「死ぬまでに見たい」と。
そんなわけでカナダのイエローナイフまで行ってきました。
男一人旅、いざゆかん。
イエローナイフへ
まずは明石から神戸三宮に電車で移動し、リムジンバスに乗り込んで伊丹の空港へ。
伊丹から羽田に。フライトが遅れたため、予約したバスに余裕なく乗り込む。写真を撮ってる場合ではなかった(笑)。
バスに乗り込み、成田国際空港へ。
バスの中では英会話を練習する親子がいました。
娘「What time is it now(いま何時)?」
父「Nooooo(いいえ~)!」
面白く、とても微笑ましく思えました。
大きな荷物を預けて、この日の最初の食事です。羽田で食べ損ねましたから。
Soup Stock Tokyo
長旅に備えて、オナカに優しい食べ物にしました。
場所
食べたあとは手続きを済ませて、飛行機に乗り込みました。
バンクーバー空港
約8時間のフライトを経て、バンクーバー空港に降り立ちました。
カナダに入って最初に思ったのは「みんな日本語を話せよ。不便じゃん」でした。最低限の英語は喋れるつもりなんですけどね。
入国と国内線乗り継ぎの手続きを済ませてランチにしました。
日本にいる感覚でコーヒーをラージサイズにしたら、予想以上に大きかった。異国ということを『言葉』ではなく『心』で理解できたッ!
場所
そして、次の経由地であるカルガリーに向かいます。
カルガリー空港
ここでは待ち時間が長いので、コーヒーを飲みました。
不味くて驚きました。
日本に帰るまで、美味いコーヒーを飲むのに苦労することを、この時の僕はまだ知らなかった(笑)
場所
イエローナイフ空港
最終目的地のイエローナイフに到着。
このとき、明石を出発して24時間以上が過ぎていました。
場所
イエローナイフ(Yellownife)
オーロラも有名ですが、ダイヤモンドの採掘でも有名な町です。
ダイヤモンドが儲かっているためか、観光客に媚は売ってません。
また、陸の孤島となっていて、運送費がかかるため物価は高めです。
ただ、州税はかからないらしく、国税のみだそうです。
時差は日本に対して-16時間です。
オーロラヴィレッジ(Aurora Village)
ここが今回の旅の目的地でした。
ここでオーロラを鑑賞します。
オーロラ
6夜滞在し、観れたのは1夜のみでした。
イエローナイフ滞在中はとても温かったです。
-11℃が一番寒かったくらい。
これは季節が戻ったことを意味していたんだと考えています。
イエローナイフ、夏と冬の間はずっと曇っているらしい。
ちょっと夏に戻ってしまったんだと思います。
事前に調べていれば、冬が確実にやってきた時を狙えたかもしれませんね。
奇跡的に雲が切れてみることができたのですが。
ティーピー(TeePee)
スー族の言葉で住居を意味する。移動式の建物です。
暖炉があって、薪を焚いています。
温かい飲み物もつくれます。
ただ、野生動物を惹き寄せる危険があるため、ティーピー内でのみ飲食が可能となっています。
ティーピーの中で、オーロラが出るのを待ちます。
ダイニングホール
食事ができたり、アルコール飲料なども飲めます。
店の中の様子。
記念に夕食を食べました。
他にもいろいろとありました。
味と量に対して割高な感じはありますね。
「好奇心を満たすため」と思って僕は割り切りました。
貸出し防寒具
寒いので、防寒具一式を借りました。
こんな感じです。
場所
公式Website:Aurora Village
余談ですが、イエローナイフにファン(…たぶん)が一人増えました。
初日のオーロラヴィレッジに向うバスの中で、たまたま一人のマダムの横に座りました。
丸メガネをかけていた僕に「そのメガネ好き。私、ジョンレノンのファンなのよ。いいメガネね。ガンジーみたいでもあるわね」って感じで話しかけてくれました。
そして、オーロラについて色々と話してくれました。英語だったので何となくしか分かりませんでしたけど。
最後はいい写真を撮れるようにエールを贈ってくれました。
ときめいてもらえるのは嬉しいですね(そういう事にしておきます)。
あと、英語を勉強し直すかぁって気になりました。
ダウンタウン
寝泊まりしたり、食事をしたり、旅の拠点となりました。
クオリティーインホテル(QUALITY INN & SUITES)
僕がお世話になったホテルです。
トラブル&シュート
ちょっとしたトラブルもありました。
宿は雨風をしのげればいいので、大したことではありませんでしたが。
1.トイレのレバー折れる。
おかげで、使うたびに蓋を開けて水門を開くはめに(笑)。
2.バスタブに栓がないので、そのままでは湯船を張れない。
しかし、一日の疲れを取るためには湯船に浸かりたい。
我が師の言葉「無ければ創る」に従い、持ち合わせたビニール袋と踵で蓋をして湯を貯めました。
アイディアとしてご参考まで。
場所
ラティチュード(L’atitudes)
滞在していたホテルからとても近い場所でした。
けっこうジャンキーでしたけど、味はまぁまぁ。
お腹いっぱいになります。フライドポテトが重い(笑)
場所
スシノース(Sushi North)
お寿司屋さんです。
日本人がやってるので、日本語でOKです。
とても美味しかった。米が恋しくなったらここへ!
シャリは酢と甘さが控えめです。たぶん、現地人の好みに合わせてるのでしょう。
場所
ジャバロマコーヒー(JAVAROMA COFFEE)
「あまり美味しくはなかったので、行かなくていいと思います」というご紹介まで。
ボストンピザ(BOSTON PIZZA)
美味しいとの情報を得たので行ってみました。
アイリッシュコーヒーとピザセット
たしかに美味しいです。ピザが食べたくなったらこちらへ。
場所
ファットフォックス(THE FAT FOX CAFE)
珈琲が美味かったので『行きつけ』にしてました。
旅先で行きつけを作るのは、楽しみの一つです。
外観
店内の様子
お洒落なアイテム
珈琲
しっかりとした味わいで、苦味がやや強め。
「ベネ(良し)!」
気に入りました。
オーロラヴィレッジのスタッフにわざわざ「美味い珈琲ないですか?」と訊いた甲斐がありました。
食事
カレーとナン。
3種類あるカレーのうちの1つ。味がしませんでした(笑)。
場所
Birchwood Coffee Kǫ̀
ホテルから近いカフェです。落ち着いた雰囲気。
ここの珈琲も美味しかったです。
カプチーノを頂きました。葉っぱをお絵かきしてくれてます。
場所
スーパーマーケット
主にミネラルウォーターを買い出しに行っていました。
いろいろ売ってます。冷凍のドリアンを見たときはちょっと驚きました。
場所
公園とシティーホール
ダウンタウンの北の方にはシティーホールや湖に面した公園がありました。
湖は全面凍結していて歩けました。
遠くにライトアップされた建物を発見。
場所
町の様子
オールドタウン
ダウンタウンから歩いて20分くらいのところに行ってきました。
ブルックスビストロ(Bullock’s Bistro)
ランチ
地元の魚のディープフライとカナダのビールを頂きました。
魚は30cmはあろうかという大きさ。
量はかなり多いです。この日はこれ一食で充分でした。
余談ですが…
白身魚のディープフライはかなり美味かったです。
店員「Good(美味い)?」
拙者「Tres bien(フランス語で「とってもいいよ」の意)!」
店員「Awesome(最高ね)!」
と言った会話をしてみました。カナダは仏語も公用語なんですよね。
学生時代に仏語を履修していた拙者はバッチリな発音でございました。
こういう遊び心もたまには必要です。
場所
パイロットモニュメント
オールドタウンの高台にあります。
金を得ることを求めて飛び立ったパイロットたちの出発点で、それを記念して建てられたモニュメントだそうです。
見晴らしがいいです。四季の景色が楽しめるようです。
場所
町の様子
イエローナイフより帰国
滞在は終わり、帰国することに。
経路はイエローナイフ空港→エドモントン空港→バンクーバー空港→成田空港→伊丹空港→神戸三宮→明石でした。
早朝6時に最初の飛行機便が離陸です。
エドモントン空港
途中の経由地です。
場所
MONK’S GRILL
パンとチーズは飽きていたのですが、名残を惜しむために食べておきました。
コーヒーの味はまぁイマイチです(笑)。
カナダのビール
バンクーバーから成田への飛行機で飲んでみました。
普通のビールでしたけど、その国のビールを味わうのがよいのです。
神戸三宮
とりあえず神戸まで戻ってきたので、晩御飯を食べることにしました。
かつ丼 吉兵衛
僕には勝利後にする儀式があります。
納得のいく成果を手に入れることができたのなら、それを勝利とみなす。
勝利の女神に感謝する。
具体的にどんな儀式かというと
『カツを供物として女神に捧げ、共に食す』
(ご飯とみそ汁は僕のためです)
これを食って勝利の女神にさらに目をかけてもらえるように男を上げることに励むのであります。
他人にとってはどーでもいい事なんでしょうけどね。
美味かったです。これぞ、日本の素晴らしさであります。
日本に帰ってきたことを実感しました。
場所
元気が出たところで、もうひと踏ん張りして明石まで帰り着きました。
最後に
どうでしたか。
お楽しみいただけたら嬉しいです。
ついに死ぬまでにやっておきたいことの1つに到達しました。
たった、数秒の間だけシャッターを開いて光を集めるために片道24時間以上もかけてやってきたのです。我ながら「頭どうかしてるな」って思ったりしました。
「僕の人生のために写真があるのだろうか。写真のために僕の人生があるのだろうか」
と問うてみた日もありました。たぶん、どちらも正解なのだと思います。
また、此の旅をするにあたって、僕のために時間を作ってくれた職場のメンツや、高等教育を受けさせて僕の基礎を作ってくれた両親に感謝いたします。
では、この記事もここらで終わります。
ご参考になれば幸いです。
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